二人が共通する感覚とは 1991年2月 |
| 松井 |
(氷室との最初の仕事は)BOOWYが東芝EMIに移籍した第一弾のアルバムでまだそれほど売れてなかったころ(笑)。完全に作詞をするっていうことより、新しくインスパイアするモノがあればいいんじゃないかという感じで。ボクも当時仕事を始めたばかりだったし、何か新鮮な気持ちを交換するような。最初、氷室が書いた詞を受け取って、そこに言葉を足したり、まったく別のテーマでボクが書き直してみたりした。 |
| 氷室 |
オレが感じたのは、松井さんは自分とはまったく別のキャラクターだってこと。だから刺激を受けた。実際そうなったのは、もっと深く付き合ってからだけどね。ライフスタイルとか、勉強する感じではないけどけっこう刺激を受ける。モノへの興味の持ち方や考え方のレンジの広さなんかには憧れたりもする。 |
| 松井 |
その後、ボクはベルリンに一緒に行けなかったし、安全地帯などもやっていましたんで、しばらく会えなかった。BOOWYの人気はどんどん上がっていってね。だからボクはBOOWYのコンサートを観てない(笑)。次に会ったのは、氷室がソロになったときでしたね。 |
| 氷室 |
ずっと「Dreamin'」の歌詞が好きだったんで、ソロになってから松井さんと仕事をやろうと思ってて。 |
| (具体的に仕事をする場面は、氷室から何かしら提示があって、そこから発展が?) |
| 氷室 |
ケース・バイ・ケースだね。「NEO FASCIO」みたいなコンセプトアルバムのときは、”今回こういう内容で詰めたいんですけど”って感じで話をする。具体的にオレはジョージ・オーウェルの「1984」にこんな部分をインスパイアされたんですけど、松井さんは?って。その時々で興味あることについて意見交換したり。最近松井さんは”脳のこと”に興味を持ってるんでしょ?(笑) オレがたとえば、宇宙のことに興味があるっていうと、松井さんの中でそれに関連した引き出しがあるからどんどん膨らむよね。そこら辺がすごくオモシロイ。 |
| 松井 |
「NEO FASCIO」のときはちょうど天安門事件とかあって社会情勢が揺れ動いていた。氷室とは年齢も近いし、音楽の仕事をやってきた経過も似てるから、同世代感っていうのかな、この時代を生きてる感覚ってすごい近いと思ってる。そこでボクと氷室が互いに感じたことを話し合っていって。いくつかの断面を見つけていったんです。 |
| (氷室との仕事の特性はどの辺に見いだすか?) |
| 松井 |
まず彼がボクを創造的な面で認めてくれるところがあってね。だからほかの仕事に比べて”より自由”に感じる。ボクがよく考えてることに近いというか。もしボクが踊れて歌えて(笑)バンドやっていたら、同じようなことを歌っていたのではないかな、っていうね。 |
| 氷室 |
今初めて聞いたけど、そりゃ嬉しいね。 |
| 松井 |
当然仕事ですから、歌う人のキャラクターを考えてやってますが、精神的な部分で悪い意味じゃなくウソを作っていくようなところがあるんです。そこで無理がない。 |
| 氷室 |
遊び心を触発されるって意味なのかな。 |
| 松井 |
うん。やっぱり創造性だろうね。たまに会って話す氷室の宇宙の話やボクの脳の話は必ずシンクロしていくわけですよ、宗教だとか哲学だとかにね。そういう話を交わしてると、じゃあこんな作品を作ってみたらどうだってアイデアが自然と出てくる。一緒に会って遊ぶことなどないですけど、感覚的に近いんでしょうね。 |
| (自分以外の人の言葉を受け止めて歌うことについては?) |
| 氷室 |
バンドのメンバーなんかもそうだけど、常に自分が持っていない未知数が出てきて、それを演じる感覚はあるよね。その意味じゃニュートラルなボジションにいるつもりだし。こうでなければいけないっていうスタイルにとらわれるのがすごくイヤだからさ。 |